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  • 2009.05.26 Tuesday
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嘘で固めた日本社会

日本人には、規範意識、規範遵守能力がないため、なにをしてもわるいと思わず、真の意味での反省がない。


日本人が怒るのは、自分に政治力、政治的実権がないこと一般を指摘されたときである。お前は会社の荷物だ、お前はヒラ社員じゃないか、その歳でまだそんなところにいるのか、学歴が無いからこの先望みは無い、貧乏人、逮捕されたのか、といったことだ。こういう言葉の背後には強度の政治的現実があるらしく、こういわれると日本人はたいていへこみ、自殺したりする。


それほど、このゴキブリ民族には、政治的実権以外に関心がない。


私は欲望が無いので貧乏といわれても怒らず、むしろ自分から好き好んで逮捕されたくらいである。このくだらないクズ人間集団で地位を得ても価値があるとは思わないので、社会的地位にも興味が無い。ヨーロッパ社会などでは、たとえば官僚や教授になってみたいが、日本のそれは構成に過ぎないため、まったくなりたいとは思わない。



学生時代、何かの弾みで官僚になりたいと発言したことはあったが、それは大学生活のリアリティに埋没していて日本の現実を知らなかったためであり、おそらくヨーロッパ社会における官僚や教授を想定して言っていたろうと思う。


日本の実際の官僚や教授の実態を知れば、よもやなりたいなどという願望は消え失せるはずである。日本には真正の官僚や教授は存在せず、官僚や教授という形式的日本語は、この組合集団の中の何らかの現実のたとえにすぎない。


マンガが示唆する日本の現実

たとえば少年マガジンとか、若いときはただの物語が書いてあるようにしかみえないんだが、実は日本の現実を描いていることが多い。


たとえば、教皇軍と悪党の合戦を描くマンガなどは、行政と民間が争っている構図ではないか、と思う。こういうのは就職して現実を知らない限り意味がわからない。完全にあっちの世界の現実の比喩である。そもそも、いいとしこいたおっさんのマンガ家が、どーでもいい子供向けのマンガなんか描いてたら発狂するだろう。


マンガというのは、現実を根本においた芸術作品みたいなもんで、まあ金でつられて禿げ上がるほど必死に頭を使って描かれているのである。今のペテン的社会では、現実を直接いうことができず、こういう複雑な詩的方法を使うしかないらしい。


アホな子供にも受けるように劇画性やロマンチックさを兼ね備え、しかも大人が読んでも面白い作品を描くとなれば一朝一夕にはできない。教養も知識も構成力も要る。しかし全体としては、実は空であり、根底にあるのは気持ちの問題であり、本質的にはくだらない。


幾ら俺はこの仕事に打ち込んでるといっても本質は金である。しかも金は法律だから、結局、法律を作っている官僚の命令である。ゆえに本質奴隷社会である。

高度管理型古代的奴隷社会ニッポン

東洋的現実は悲惨なものです。何から何までステレオタイプ化したルールの中でただ必死に生きるだけです。子供は奴隷訓練に、大人は奴隷労働に行く。その繰り返しで、一見ロマンチック社会に見えるのは、そういう詩的形式をとらされているからで、内容はありません。


いかに社会の二次元アニメが美しくロマン的にみえても、その印象が社会で展開される物事の原因にまで論理的につながっていかないのだから、興ざめするものです。たんなる仲間意識と奴隷社会というリアルに対してそういう詩を与えているだけだからです。


簡単に言えば、いくら良いことを言う人がたくさんいても、良い人はめったにいないということです。いくら可憐で清楚な女性がいてもそれは外見だけでの話です。家に帰ったらでっかい屁をぶっこいてTVを見腐っているのが現実です。


なにより本質が決まり切った奴隷社会なのに、それを美化するのがなんともエゴイストの極致という感じがします。住宅は拘置所の独居と択ぶところは無く、労役場と相違無い。これでは、拘置所で働かされているのと何も変わらない。


日本人は実は子供のころから大人まで永遠に変わることの無い空間に放りこまれているがそれに気づいていないだけです。学校はその典型だし、社会も学校と一緒です。いわば日本全体が実は学校のように永遠に変わることなく回転しつづける無機質な空間なのです。


ここでは生活自体が死で、すこし頭を使えば将来が予見しうるという最悪の世界です。簡単に言えば、何もしなければ、将来は同じ家に住んでいる親や祖父母のようになっていくようにプログラムされているのだからわざわざ生きてみる必要は無い。


可能性も何も無い社会です。可能性がある人間は都会にいくように促され、そこで競争させられますが、やろうとしていることが特権階級にとって不都合で、使えなければ、ただちに殺されて埋葬されます。


そういうクズ的な国です。


馬鹿馬鹿しい永遠

アルバムなんかみると、ある種のまぼろしの中で、その人はどうみてもそれを実在だと思っていて、つかの間の幸せを楽しんでいる、という風景がある。しかし、まぼろしはまぼろしである。あのときは楽しかったが、なんであんなことをしていたんだろうと後悔する日は必ずやってくる。


まぼろしはつかの間の幸福を与えるが、その人の精神世界に何も残さないので、後で後悔となる。まぼろしというのは実は背後においてなんらかの政治が行われているに過ぎないのである。まぼろしを楽しんでいる人は、同時に何か奪われている。


そういう視点で見ると今の日本というのはまぼろしばかりだ。すべてがまぼろしといってもよい。そもそも経験も知性もない貧乏な日本人にそうそう色々なものが作れるはずが無い。日本にあるように見えるものはほとんどが道化なのである。


もちろんジキルとハイドのようにまぼろしを味方にせよということなのだろうが、六法全書をみてもわかるとおり、何から何まで(大学や会社さえも)すべてがまぼろしで夢物語です、では、逆にあまりにも空々しすぎる。


結局大事なのは実在だろう。実在はどうしているのか。日本が到達したのは、八方美人になって外国に媚を売り、色々なものを輸入できるようにし、国内的には奴隷訓練と奴隷制度をしいて、ステレオタイプにその日暮をする10年1日のような世界がある。自由も独創も精神も実在はしないのである。


いわば最悪の限りを尽くしているわけで、夢幻、最近でいえば二次元というのはどうでもいいのである。三次元はこの苦しさである。


よくできた偽物を量産する官僚教育

 日本に実在するといえるのは、昔から、儀式と美意識と仲間意識くらいのものであり、規範はむしろ嫌い、哲学は無く、政治は継続せず、感情的で利己主義であり、行動原理は思いつきである。


今の日本は国際社会に対応するため、さすがに古代の日本とは異なっているが、本質は余り変わらない。確かに高度管理と複雑あいまいな詩的風景によって一見高度に理性的でロマンチックで非の打ち所の無い社会に見えるが、それはそう認識させているだけで、実態はまさに混濁である。


学校の卒業アルバムや昔の色々な写真を漁っていると、日本は混濁の現実を頭の中で美的に整理する術には長けているようである。美意識による一定の儀式的行動というのがここにある。あとで美的に観ずるために美的な儀式を行うのである。しかし実態とは全く何の係りも無い。


子供を観察していると、人間関係だけに重点をおき、行動に理性やルールは無く、権威づけされた美的言語で自分を正当化するなど、すでに大人時代のクズっぷりが胚胎している。


これだけ知性の無い民族なのになぜ教育が成立するか。それは教科書に書いてあるのが事実でも真理でもなく限りなく念仏に近いからである。念仏ならば意味や連関が理解できなくとも暗記すればいい。これは寺の坊主もやっていたことなので日本人でもできる。しかし、そういう暗記をしたところで後に何が残るかは保証の限りでない。多分何も残らない。


数学や理科も低レベルに抑えられている。しかしこういうことをしたからといって長い人生に何が残るかも保証はない。事務処理能力がつけられるというていどのことではないか。


最終的な大人に何が残っているかを見ればわかる。せいぜい、立場に応じて儀式的ふるまいができる、文句を言わず事務処理ができる、漢字がたくさん書ける、漢字を使って文書が作れる、計算ができる、仕事が終わったら仲間と付き合える、ていどのことだ。


要するに美意識や見栄っ張りが手伝って形はきれいになるが、ほとんどの場合、実は中身がない。それに教育も中身の改善を目指していない。教育が目指しているのは、形による飼育である。

常識イコール官僚

自分の中に、本当の自分と、公共の福祉的な自分というのがひしめきあっていて、社会の一員として公共の福祉的に配慮した文章と、自分丸出しの文章が混在することになるが、この世間で生きている限り、それは当然である。


世間に配慮した文章と、自分丸出しの文章が矛盾するのは当たり前である。前者は、世間の感情を考えた上で構成した嘘で、後者は、自分が内面で本当に思っていることを書くからである。


何が世間の常識なのかは、戦前は天皇が決め、戦後すぐは名実ともに官僚が決め、60年代以降は、世間の良識によって決まるという形式で実質的に官僚が決めている。


つまり、常識の帰結は国民でなく官僚が決めているから、世間の感情に配慮した文章を書くときは、自動的に官僚の政策に従っているに過ぎない。


自分丸出しの文章が毛嫌いされるのは実は官僚の政策に反するからだが、今では非常識だからだ、となる。ここが微妙なところである。人々は、しらずしらず、常識の名によって他者の意見を封じ込めることで官僚のしもべになっている。


社会で動けば動くほど勝手に官僚の意思を実現していくことになる。その中で本当の自分は消えていく。実に恐ろしいファシズム国家である。


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